タイムカプセル

泥だらけの笑顔でまた きっと会える 君に

2021年のわたしへ

 

2021年のわたし、はじめまして。2019年のわたしです。“2019年”ということから察してください。察しの悪くないあなたなら分かるでしょうね。今日、2019年1月27日。あなたにとってもわたしにとっても忘れられない日になったと思う。嵐の活動休止の発表があった日。いつも通りテレビを見ていた夕方時、急に速報が流れ、なんだろうと見たら「国民的アイドルグループ 嵐 2020年年末で活動休止を発表」という文字。その時のわたしは何が起きたのか、自分が何を見たのか分からなくて理解出来なくてただただ呆然としていた。「は?」「なんで」その言葉をずっと言ってたよね。半信半疑でTwitterを見ると数々のネットニュースで報道される“嵐 活動休止”という記事。心のどこかでこんな日がいつかくるかもなと思ってた。でもその“いつか”はそんなにすぐに来ると思ってなかった。まだまだ遠い先の未来だと思ってた。活動休止の理由も何だか分かる気がした。何か感じるものはあった。だけどそれを何回も何回も読んでもそれでもまだ信じられなくて、信じたくなくなかった。次に嵐本人達の言葉が綴られたコメントが流れてきた。それまで頭が混乱していたわたしだったが、それを読んで一気に何かが崩壊し涙が溢れ出してきた。涙が止まらなかった。程なくしてファンクラブで動画が配信されたと知ったが、それをすぐ見ることは出来なかった。なぜならそれを見てしまうと本人達の声で言葉で活動休止という事実がわたしの中で事実になってしまうから。動画を見ずただただTwitterで嵐ファンのツイートを見てみんな同じ気持ちなんだなって思ってた。そのうちテレビのニュースで活動休止が報じられ、アナウンサーが5人のコメントを読んでるBGMにA・RA・SHIが流れてきた。泣いた。涙が止まらない。この時点でも盛大な嘘だと思ってたよ。そう思うしかなかった。あの時の気持ちまだ覚えてる?覚えてるだろうね。今まで感じたことのない悲しさだった。心の中で大切なものがすっぽり抜けて大きな大きな穴が空いた感じ。

このブログ書いてる今、活動休止を発表されて3時間が経ったくらいかな。正直まだ気持ちの整理全く出来てないです。この事実を受け止められないし、受け止められる日が来るか分からない。だって嵐はわたしの人生の半分以上を共にしているわたしの精神の支柱みたいな存在だから。それが急になくなる、いやなくなるという表現は違うか。嵐という存在はなくならずにずっとある状態ではあるけど公には出てこない。わたしたちファンの前に出てこない。架空の存在、という言う方がしっくりくるのだろうか。今はレギュラー番組もあるから毎週見えているし、音楽番組だって出てくれて、毎年ライブで会う機会も作ってくれてるけどそれが全て2020年でなくなるなんて…。言葉を失う。これらが全てなくなった2021年のわたしはどう過ごしてる?過ごしていけてるの?全く想像することが出来ない。まだ2年後のことなんて具体的に考えられないけど、2019年のわたしは嵐が、5人が揃ったところを見えない生活を過ごしていける自信がないです。何を楽しみに生きていけばいいの?嵐が決めたことだからいずれ受け止めないといけないと思ってるけど、その頃のわたしはもう受け止めてる?受け止められてる?思ったことをただ言葉にしてたら文ぐちゃぐちゃになっちゃったね。

今のわたしはというと、涙は出し尽くしてボーッとしてます。20時に会見あるらしいけど、またその姿見て泣いちゃうんだろうなあ。明日からテストだよ。学校行かなきゃいけないのに目腫れちゃうね。授業だったら絶対休んでるよな、分かる。1週間、いや1ヶ月休みたい。テスト勉強どころじゃないよなほんと。なんでこのタイミングで発表してるんだよって感じ。ただでさえテスト期間は病むのに活動休止なんて…。今はただ大切にしまった宝箱を開ける時が来ることをただただ祈ることしか出来ないのかな。嵐はわたしの生き甲斐なのにこれから何を生き甲斐に頑張ればいいんだろう。嵐が見えない世界なんて知らないし知りたくなかったなあ。お願いだから2020年なんて一生こないでくれよ。2021年のわたしがこのブログを読む日が来なくなればいい。

 

2019年のわたしより